上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2012.02.28 一歩手前
リマからクスコまで23時間。
Made in BRASIL のメルセデス(ホントかよ?!)
隣と前にいる赤ちゃんの泣き声にもめげず…

クスコから2時間弱、乗り合いタクシー・カローラで、マチュピチュの手前のオリャンタイタンポまできました。

石造りの小さな村は、とてもいい感じ。
高地のせいか、体調イマイチで、1泊450円ということもあって、2泊。
結構な遺跡もあるけど、周るには値が張るため、遠くから眺めてます。


今回の旅で初めて、気の合いそうな日本人一人旅男性がいて、ちょっとトークすると…
同郷の人じゃないですか!
4月から高校の英語の先生だって言うじゃないですか!
ユニクロのフリースに、ネパールで刺繍入れてもらったっていう一点物着ててカッコいい!
久しぶりにたっぷりトークさせていただきました!
楽しかったです!
yutoさん、また会いましょう!

明日はいよいよマチュピチュ入りです。
スポンサーサイト
今年の6月からスリランカに来ているバレー隊員Y田さんは、岐阜県から来ている。
任地が離れているため、あまり話す機会がない割りに、同じバレー隊員というだけではない親近感があり、仲良くしてもらっている。
そのY田さんのバレー仲間が、NPO(特定非営利活動法人)「フレンドリー岐阜」なるものを立ち上げていて、その活動の一環として、スリランカバレーボール連盟にボールを寄贈してくれることに。
そして「実際に使う子どもに、直接手渡したい」ということで、わざわざデニヤーヤまで来てもらえることになった。
大変ありがたいことなので、こちらとしてもできるだけのおもてなしを・・・
ということで、自分が赴任したときのようにマーチングバンドを準備。
全校集会を開いて大歓迎することに。
前日に自分と一緒に会食してもらい、いろいろ事情を説明しながらお話をうかがわせてもらった。
「バレーを通して、子どもに夢を与えたい」と熱く語る「フレンドリー岐阜」のお二人。
日本でも小学生のバレー大会を開催していて、その中でいろいろなイベントをやっているそうで、非常におもしろいことをやっている。
いろいろ盛り上がっているうちに、「もう思い切って体育館作っちゃいましょうか!!」という話まで出てきていた。

そして歓迎式典当日。
わざわざ日本から学校を見に来てくれて、ボール20個(!!)も寄贈してくれるというのだから、それはもう、学校全体でうかれまくりだった。

そして、全校集会でごあいさついただいたところ、「体育館建てます!!」と大宣言。
いきなりそんな言葉が出てきたもんだから、会場全体が目を丸くしていたのだが、「子どもに夢を与えたい」という熱い気持ちを聞いていた自分も、なんだかホントに建てれるような気がしてきた。
とはいっても、自分には何もできないのだが。

はてさて、この先いったいどうなる??
friendry-gifu2
2008.03.31 一線を越える
帰国して三日。
どうも眠くなる時間がおかしい。
どうやらこれが時差ボケってやつか・・・
その中でも何人かの友達と会うことができ、いろいろな話をした。
そこでは聞いてもらったのだが、まだブログに公開していなかったことがある。

それは、世界中の誰もが毎日行うことについて。
自分がスリランカに行ったときには、必ず直面する大問題。
トイレに入ったとき「紙がない」ということだ。
要は手で拭くということである。
日本に育ってきた自分には、これは非常にハードルの高いことだ。
過去の経験者もそのへんでかなり苦しんでいる。
4日耐えたという人もいた。

トイレで大きい方の用を足した後、紙を使うか、使わないかで、おそらく世界は二分される。
「食事は右手、トイレは左手」なんて外国の話を知っている人も多いだろう。
紙がないから手で拭くというのは、正確には、水を使って手で洗うということだ。
実はスリランカがそうなのだ。(都会は別らしいが・・・)

タイに行ったときには、しっかり目をそむけてきた。
「いやぁ・・・やっぱり俺にはできねぇな・・・」と持参した紙を使っていた。
しかし、トルコ式のトイレ(ほぼ日本の和式)でもぶつかる問題であることは事前に知っていた。

せっかく旅に行ったのだから、その土地の文化を体験しなきゃ・・・と思う人は多いはず。
自分はスリランカには2年は滞在する予定なので、体験どころか、普通に生活していくのだ。
文化になじめなければ、苦しいだけだろう。
だとすれば、自分はトイレにいちいち紙を持っていくわけにはいかない。
「手で拭く」という一線を、いつかは越えるべきなのだ。
トルコのトイレは個室内の低い位置に水道の蛇口と水入れがあるというので、なんとかすぐに手を洗える。
いい機会である。
(もう少し条件の悪い国になると汲み置きの水になるらしい)

ただ、宿や空港のトイレは洋式で紙があったので、そこでは越えられなかった。
やろうと思わないことはなかったが、できなかった。
やはり相当な覚悟が必要だ。

トルコ到着から一夜明け、イスタンブール市内をブラブラ。
小さなデパートっぽいところの公衆トイレ。
チップを払って入場。
それは敢行された。

コトを済ませた直後の出口がどうなっているか。
今までは知らなかった。
手で拭くことで、初めてわかったこともあるが、それはちょっと説明が難しいので省く。

手で拭く国の人は「紙で拭いて何がきれいになるのか。かえって不潔である」と思っているらしい。
日本では考えられない考えだ。
だが、その国では常識なのだろう。

どちらが正しいかは問題じゃない。
ただ、自分はどちらも知る機会を得られたのだ。
それはきっと恵まれたことなのだ。
かくして自分は、日本人には越え難い一線を越えた。
2008.03.26 フェリーの朝
大型フェリーの一番安い席の床に雑魚寝していたら、朝5時に夢を見て目が覚めた。

夢の中で自分は、一番最初に勤めていた少年鑑別所で夜勤をしていた。
朝になり、入っている何人かの子供の朝食を下げ、事務所に戻る。(子供の中の一人は馬が合う子であったが、少年院に送られ、その後刑務所で再会した)

気のいい後輩が「ちょっと問い合わせが・・・」と苦笑いしている。
当時は会計関係を担当しており、問い合わせは上級官庁からのもので、すでに支払いを終えた施設の電気料金の内訳に関するものだった。
公共料金なので、不正を行うことは不可能。
自分の作った書類に応じて日本銀行経由で支払っており、先方からも苦情などはなかった。
その算出方法についての問い合わせで、大雑把に言ってしまえば1円のプラスマイナスの問題であった。

説明さえさせてもらえれば理解は得られるので、自分的にはたいしたことではない。
だが、上司は「支払い終わっているので、まちがってたら大変だ。職責問題だ」と心配そうにしている。
PKの前に、はずしたら大変だぞ、とまくしたてているようなもんである。

自分の頭の中はというと・・・
「さっさと済ませて彼女の待ってる家に帰ろう」「日中はのんびりして夕方にはバレーの練習だ」

そんなところで目が覚めた。
当時は幸せだと思っていた。
誰からも文句の出ないように事務処理し、非行少年と呼ばれる子供の話を聞いては励まし、収入も十分だった。
家では彼女が待っていてくれて、バレーもいい感じでできていた。


今の自分はというと、当時では想像もできなかったエーゲ海のフェリーに揺られている。
I Podでお気に入りの曲を聴き、まったく似合わないお気に入りのサングラスをアイマスク代わりに寝そべり、朝日を見るのを心待ちにしながら。
自力で国境を越えれた満足感でいっぱいの中、トルコでの出来事が思い出された。

サフランボルで両替に行ったT君と、成田で両替した自分とを比べると、円高と手数料の影響か、T君はかなり儲かっていたこと。

平日の深夜0時にアンカラのバスターミナルで、別れを惜しんで民族楽器を鳴らしながら踊っている人の輪が、見ず知らずの人が混ざってどんどん大きくなっていったこと。

セルチュクの宿で洗濯を頼んだら、どう見ても小学生の男の子がきて、すらすらと英語でこっちの名前を尋ね自己紹介してきたこと。
「明日の朝になるが大丈夫?」とやる気満々だった彼は、きちんと翌日には洗濯物を仕上げ、昼には商店街で新聞を売って歩いていた。

金の価値や仕事の意味、日本の子供などなど・・・
考えると、いろいろな思いがごちゃまぜになり、わけがわからなくなってきた。

そんな時にI Podから流れてきたのは、oasisの「Don't look back in anger」(かなり古いが)
洋楽の意味などまったくわからないで聴いているが、そうしてみろってことなのかな・・・

安定した仕事と収入、待っている彼女、バレーに打ち込める場所。
全部もうないが、今こうしていろいろ考えながらわけがわからなくなることができる自分は、結構充実していて、幸せだと思う。
こんな自分のわがままを認めてくれる家族がいて、心配してくれる友達もいる。
ありがたい限りである。

かなり曇りっぽいけど、朝日を見に行こう。
セルチュクからバスに乗り、イズミルという大きな工業都市で乗り換え、無事にフェリーの出チェシメに到着。
セルチュクのホテルで「サンライズツアーに行ってこのチケット(予約券)を見せろ」「乗り場のすぐ近くだから」と言われていた。

だが、肝心のフェリー乗り場がわからない。
フェリーの絵のある看板は「Lemen」と書いてあり、地名か乗り場かわからないが、とりあえず行ってみると無事乗り場に到着。
ものすごい小さな窓口に「SUNRISE LINE」とあるが誰もいない。
一応国境を越える航路なので、警察もものものしげにいるので、聞いてみたが、わからないという。

待ち時間だけはたっぷり3~4時間あるので、町に戻ってみた。
途中のツアー会社でサンライズツアーに行きたいと尋ねてみると、えらくかわいい女の子が出てきて、英語で教えてくれた。
いまいちわからない感じでいると、途中まで連れて行ってくれるという。
ゆっくリと話してくれ非常にわかりやすく、どうやら行けそうだった。
記念に写真を撮らせてもらうと、これはどのトルコ人も同じなのだが、目いっぱい笑顔を見せてくれた。
チェシメの女の子


無事にサンライズツアーの事務所を見つけ窓口の兄ちゃんに予約券を見せると、「港に出発の1時間前に来い」
なんだよ・・・それだけならさっき行かなきゃよかったよ・・・

事務所を出るとすぐそばでスクーターをレンタルしていたので、借りてみた。
125ccのもので、国内では乗れない。(免許がない)
けど、日本の免許証見せたら「OK!Enough!」といって車検証らしきものを手渡して、「Very Inportant!」
「警察にとめられたら見せろ」
「ガソリンはほぼ空だから、乗る文だけ入れろ」
「名前は?俺はイーボだ」などなど非常にフレンドリー。
スクーターとイーボ


チェシメは高級リゾートらしいが、オフシーズンのため泳いでる人はいない。
ただ、雰囲気は隠れた高級リゾート。
いい感じであちこちスクーターを乗り回していると簡単にに60キロは出ている。
学生のころ乗っていた原チャリとはパワーが違った。
無事返却。

港で手続きを済ませ、乗り場のすぐそばのカフェでフェリーを待っていた。
ところが、一向にフェリーは来ない。
乗り場付近にはものすごい小さな遊覧船みたいのがあるだけ。

出発10分前になってもこないので、カフェの店員に聞いたところ、「あれだよ」と小さな遊覧船を指差した。
まじかよ・・・大丈夫なのか・・・
「40分くらいですぐ着いちゃうから」
国境を越えるフェリー


ほんとにそのとおりであった。
ちょうど夕暮れ時で見事なサンセットクルーズに。
エーゲ海を渡っていると思うと、学生のころ、手品の定番ソング「エーゲ海の真珠」を歌いながら、コップのビールを一瞬で消す魔法を見せていたWhite.Mtのunder Mountenのことを思い出した。
国旗の向こうにはチェシメの町が・・・さらばトルコ
フェリー後部にはギリシア国旗が・・・

いまいちうまく写せなかった夕日
エーゲ海の夕日


ヒオス島はすっかりギリシア。看板の文字が全然読めない。
乗り換えのフェリーは超特大で写真におさまらないほどだった。


9時間かけてギリシア本土へ向かう。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。